この度は北海道の皆様、お見舞い申し上げます。 関西の皆様、お見舞い申し上げます。 最近、地震と台風が多過ぎます(涙)。
今日は自分がサウンドディレクターとしてデビューした時の事をお話いたします。 (ちょっと普通のデビューと変わってます(^^)) 自分がサウンドディレクターとして初レコーディングしたのが約20年前。
当時、音楽原盤制作会社に勤務しており、私は某レコード会社にA&Rとして出向 もしていました。 そのレコード会社の原盤制作のほとんどを出向元の音楽原盤制作で行っていました。 そして、2月の大雪の降る日、私のサウンドディレクターデビューの日がいきなりやって来ました。。。
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その日はオムニバスアルバム(色々なアーティストの曲が収録されているアルバム)のマスタリング(最終的に音量や曲間を決まる作業の事でこの作業が終わるとCDのプレスが始まり、配信も始まります。)があり、大雪の降る中、世田谷にあるマスタリングスタジオに向かいました。
そのアルバムのディレクターは私が勤務していた音楽原盤制作会社の社長でした。そして13時からマスタリングはスタートでしたが12時30分になってもエンジニアさん以外は誰もいなかったのです。。。今回はオムニバスアルバムであり、また大雪の影響もありアーティストも不在でした。
そして焦った私は社長は勿論、自分の部下や関係者、所蔵アーティスト、みんなに連絡をしましたが、「携帯、繋がらないよ。」、「何処にいるかわからないよ。」との事でした。
CDプレス工場への納品は翌日でないと発売に間に合わないというギリギリのマスタリングでした。そして時間は14時30分。。。1時間30分待っても誰も連絡が付かない。。。エンジニアさんから「どうします?始めましょうか?」と事でした。私は思い切って「始めましょう!」とエンジニアに伝えマスタリングがスタートしました。
それまでA&R、アーティストマネージャー、レコーディングマネージャーとしてレコーディング、マスタリングの現場は散々見て来ましたが、初のサウンドディレクションでした。しかも、自分がやると決まってなく、急遽のディレクター! かなり緊張しましたが、始まると不思議と気持ちも落ち着き『よし、やってやろう!』に変わっていました。
仕事以外にもプライベートでレコーディングをしていたのも非常に役に立ちました。7〜8時間のマスタリングでしたが無事終わりました。マスタリング終了後、急いでレコード会社の社長に持っていきOKを頂き、無事CDプレス工場に納品出来ました。
翌日、通常に会社に行くと社長もおり、「なんで、マスタリング来なかったんですか!」と聞くと「だって、雪降っていて面倒だったんだもん。クララン(当時の私のあだ名です笑)いるからなんとかしてくれると思ったからさ!」と何事もなかった様に言われました(苦笑)
正直、その発言にもかなり驚きましたが、『なるほど、いきなり自分にマスタリングディレクターを任せたわけだ!』という事に気付きました。社長は口には出しませんでしたが、『2年間レコーディング現場を見て来たし営業で案件も取って来る様になったからそろそろディレクターとしてデビューさせても良いだろう。』と判断したのだと思います。
(通常はADやアレンジャーから入り、ディレクター、プロデューサーとなっていきました。今は違うかも知れませんが。。。)また入社して日の浅い頃、社長に「サウンドディレクターは2ヶ月でなれる。だけど営業で仕事を取って来れるには2年掛かる。」という一言を思い出しました。
(2か月なんかじゃなれないよ!!と思われる方も多いと思いますが、あくまで当時の社長の一言です(^^;;)
しかし思い返して見ると、レコード会社の編成会議で「海外のあの有名アーティストの曲っぽいものにしよう!」と決まれば直接、そのアーティストの所属事務所を調べて海外に連絡を取り、そのアーティストに曲の制作を依頼し書いて頂いたりと行動力や発想力が尋常ではない方でした。
「何々っぽくするなら、本人に直接書いて貰えばいいじゃん。」と言ってました。夏の打ち合わせには企業や広告代理店、レコード会社、何処でもジーンズ、Tシャツ、ビーチサンダルにキティちゃんの腕時計。。。いい意味で自分のスタイルを持った方でした。
あの衝撃的なディレクターデビューから20年。今でもプロデューサー、ディレクター、作編曲家として活動させて頂いております。 『営業して仕事を頂かないと音楽制作は出来ない。』という当時の社長の言葉は時が経った今でも私は大切にしています。
今頂いている楽曲制作の仕事、サンプル音楽の制作、SNSでの発信、そして何よりも人と会う。これからも大切に活動したいと思います!